馬の屠畜・肥育・家畜商 松林要樹『馬喰』より(馬肉の話が嫌な人は読まないほうが)

「インターネットでね、屠畜見学に行ってきましたって記事を読んだんだけど、ネガティブな言葉で彩られていてね、それでもう、見学とかを受け入れるのはやめようって思っていたんですよ。

見学には学校の先生も来られるんですが、えー、牛だと思っていました、馬はかわいそうですなんて言って、見学を辞退される人もいます。牛と馬の違いというと、それはそちらが勝手に擦り込まれているだけのこと。牛は初めから家畜で人に食われる運命だと思うんですが、馬は、競走馬になったり、乗馬クラブで働いていたり、人間の夢を託すところがあって、なかなかその馬を屠畜していることには理解できないんですね。

だから、何回も言うように、こういうことを書いてもらっても何の解決にもならんと思っています」

松林要樹著『馬喰』に書かれているある畜産業者のことばだ。

牛の屠殺をしていても「牛はかわいそうだから屠畜はやめてくれ」という抗議の電話は一本もないのに、馬に関しては二年に一度くらい、そういった電話が来ることもあるという。そしてこう続く。

「何故人間の口に運ばれているのか、馬を一生飼えますか、犬猫と違って病気しても入院施設もない、川に流すこともできない。そうなると、肉にすることしかできないじゃないですか」

『馬喰』はドキュメンタリー映画『祭りの馬』の下敷きとなったルポルタージュ。

原発事故の被害に遭った福島・南相馬で目にした「食肉馬」としての価値も失ってしまった馬たち。被災した馬喰(ばくろう:馬を主とする家畜商)一家。二つの出会いをきっかけに、馬に関わりのなかった著者が馬の世話をするボランティアをはじめ、見えてきた馬と人間の関係。

肉になることすらかなわなくなった馬、キンタマが腫れた馬、被災した馬を救おうとする人々。本来肉になる予定であった馬が、原発事故に被災したことによって肉にならず、命が救われるという転倒した状況。

そこから馬と人と産業の関係を追いかけた記録、というか著者の目に映ったことを克明に書き綴った半分日記のようにも感じられる一冊。

著者が取材の過程で生じた一つ一つの疑問をしつこくねちっこく追いかけ、「そこまで書いていいのか?」という部分まで踏み込んで記述している。

あけすけに書き綴られた文章を読んでいると、端々に不器用そうな著者の人柄が浮かんでくる。「そこまで突っ込むの?」といいたくなるような想定外の掘り下げ方をするため、内容の重さとは裏腹に笑ってしまうところもある。

『馬喰』の一部でしかない馬の屠畜の章だけを抜き出すのは憚られていた。引用の範囲も超えてしまうので、どうするかというところもあった。

しかしこれまでに屠畜関係でひどい表現を目にしたこともあり、最近現職国会議員が「馬肉の闇流通」とか言い出したりがあったので、投稿することにした。

ここでは『馬喰』第四章の福岡の畜産屋(肥育・解体を行う)での取材部分からランダムに抜粋。きちんと知りたい方は購入して確認を。

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以下、松林要樹著『馬喰』河出書房新社より

ここの屠場に来る馬は、どういう種類の馬なのか聞いてみた。

「道産子っていうのと、農耕馬もおりますが、いまの時期は、軽種馬ですね。いわゆる競走馬と同じサラブレッドです。北海道から元馬っていう状態で買うてきとります。

元馬っていうのはですね、競馬って二歳から走るじゃないですか、その二歳になる前に、骨が細かったり、怪我していたり、なんらかの障害を持っていたり、能力が低かったり、そういう競走馬になる手前ではじかれる馬を買ってきています。

だいたい一歳の頃です。セリもありますが、北海道の牧場で直に買うこともあります。そんころから肥育しておらんとよか肉はできにくいとです。

だからうちの場合は、元競走馬を扱うことはまれです。あったとしても六歳の繁殖馬のメスがたまーに、混じってきているかも知れんとですが、ほとんどないです。

競走馬として走るために飼われていた馬と、食肉用の肥育場の違いは脂と肉の色で分かります。だいたい競走馬は、赤身が黒くて脂が黄色になっておりますんで、バラしてみると一目瞭然なんです。そんで、今日のやつも黄色の脂があったでしょ。あれは六歳っていわれるとですが、うちでは六歳以上の馬は全部『六歳』で通されています。

競走馬は、骨を太くするために、ビタミンやカルシウムなど、早く走るために必要なものを食べていますので、脂の色が違いますし、筋も固いんです」


「いまウチでもって帰りよるとは、黄色とか白い脂があるじゃなかですか、あれは馬油にほぼ転用されとります。うちは人間の食用に転用しとらんですよ、有機肥料にされとります。飼料は冷蔵車ですもん、もし食品に転用するとなれば、冷凍車のトラックでここに来んとでけんとですたい。皮はうちじゃなかたい。熊本の業者さんらしいばってん、それでいろんな商品ば作りよんさっと」


競走馬にもなれなかったかわいそうな馬たちなどと書かれるのが一番困る、と言われた手前、慎重に話を聞かなければならない。そう思っていた時、横にいた母親の由利子さんから切り出された。

「よく見学したいとかいう人にその目的を聞いても、ほとんどが答えられんやったりね。差別や偏見を無くしたいとか、人権につながるとか、いろいろ理由ば言われるとですが、ますます偏見とかが生まれるのかもしれないと思うことはあります。

こうやってしゃべったところで問題の解決にはつながらんと思います。でもあなたがしつこくやってきて、こうやって見学を受け入れている手前、それは拒否しませんがね」

ずばり言われてしまった。

私はこの本で何か新しい問題提起をしたいと思っているが、それらは過去に出版された本や映画でも同じように差別を助長しないため、偏見を否定するため、という繰り返し使われてきた、書き手や作り手の勝手な言葉やイメージに基づく意識だと思いなおした。

自分なりの理屈である、南相馬で見た餓死した命と屠殺される馬の命の違いについて話を続けた。

「こう矛盾したようなことば言うかもしれませんが、うちは肥育の馬を愛情を持って育てているんですよ。愛情を持ってやらないと馬もなかなか太らないとですよ、うまい肉にもならないのですね。たまに冷やかしで、愛情持ったもんばよう食べられるなっておっしゃる人もいます。それは愛情よりも金もうけのために馬ば買っておるとでしょう、って。金もうけだけで肥育から屠畜するなら割に合わんですよ。

一番腹が立ったのは、自分の家のペットにたとえて、犬のその日に屠殺してそればあんた食べますかって、聞かれたこともあります。ペットと家畜ば一緒にされてね。ただ、そういう人は、自分で馬刺しを食べながらそう言うんですから、矛盾しているのはどっちかなって思います。

よう、壺とか陶器とかを作っている人がテレビとかに出て、魂を込めて作りましたっていうけど、私がいくら実物を見ても、陶器からその魂を感じることができません。

でも、この仕事は魂があるところから食肉を作っていくわけです。相手が生き物ですから、魂があるのは、当たり前です。心をこめてます」


親が亡くなって、その仔馬を私たちが、哺乳瓶を持って育てたんです。まだ草を食べられる時期じゃなかったんです。

人間に育てられた馬って、すごく人になついてね、ここに来たばかりの元馬の子しか入っていない小屋に入れて、初めはどうなるかと思っていたんですが、柵の中では強いんです。でも日にちが経っていくにつれて、どんどんやれていって、相当弱いやつになってしまう。

馬ってね、群れる生き物なんですよ。そして、群れの中で誰が強いかって必ず競うんです。たとえこれっくらい、つまり一〇頭しかおらん馬小屋でもね。

それで、強い馬は他の馬を押しのけて餌を横取りして、どんどん食べていく。だからますます早く太っていくんです。そうなると強い馬から人間の口に入っていくことになる。哺乳瓶で育ったのは弱かったので、なかなか大きくならなかった。

そして、俺らが行くたびに、柵から頭出して撫でてくれって甘えてくるんですね。ま、なついていたんでしょう。

そうはいっても、来る日はきます。その日は、オレが馬を外に連れ出して、屠場でやりました。やられる寸前まで頭なでていましたけど、自分で頭なでてね……」


ここで肉になる馬はほぼ、セン馬になっている。要は金玉を切り落とす。牡馬よりも牝馬のほうが脂がのる。オス馬のままよりセン馬のほうが肉がいい。だから、この牧場にいる馬のほとんどは、セン馬だった。

軽種馬は、経費からすると、肉にするのは三年目ごろがいい。じっくり時間をかけていけば、それだけ脂ののった馬肉ができるが、餌代などを勘案すると、三歳がちょうどいいという。それ以降はどんどん臓器などが固くなり、六歳を超えると、肉が固くなったり、臓物もあまりよくない。

以上、松林要樹著『馬喰』河出書房新社より

日本でカルシウムなどのサプリを(みなが積極的に)与え始めたのは、ジャパンカップ以降、のはず。来日した馬の強さを考えて、草に含まれるミネラルではないか、という推測からはじめたという話を聞いたことがある。1990年代は、与えているところといないところが混在していたと。真偽は不明なので参考までに。

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