誰が引退後の競走馬の責任を持つのか 「処分」はいけないことなのか

この項は、引退競走馬が処分されることに違和感のない人には関わりのない話なので、スルー推奨です。

 

引退する競走馬が処分される、つまり肉にされることを防ぐために「JRAはカネを出すべき」という意見を目にします。

これは妥当な考えなのでしょうか?

JRAの立ち位置を考えてみます。

JRAは賭博の胴元として舞台を用意し、売上から発生したテラ銭から馬主への賞金を出している組織です。レースの勝敗によって利益を得てはいません。

JRAはレースの賞金のほか、出走奨励金のような馬主に対する手当をはじめ、トレーニングセンターから競馬場への輸送費も負担している。そして競走馬登録抹消時には給付金も出しています

JRAは、競馬という賭博の胴元として舞台を用意し、出走を促すための報酬を出している。つまり、興行主として金を払って競技の参加者を集める側です。

反対に馬をレースに出走させることで利益を得るのは誰でしょうか?

馬主であり、調教師であり騎手であり、厩務員です。さらに生産者もこの恩恵にあずかっています。

 

JRAは畜産振興を目的として農水省の下に設立された組織であり、競馬の興行主という立場です。

日本中央競馬会法第1条には設立の趣旨として「競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため」とありますが、競馬施行の社会的意義は国民的レジャーを提供することにもあるといえます。

JRAの概要について – JRA

畜産振興には肉の生産も含まれている以上、競走馬を肉にすることを否定するわけにいきません。

肉加工を否定してしまえば肉を用いた業界をないがしろにすることになります。人間が食べるだけでなく、ペットフードや動物園の動物の餌の供給にも影響が生じます。

JRAの存在意義からして、功労馬への月数万円の年金以上の支出は難しいでしょう。

 

「JRAが引退後の馬にも年金のようなものを出せ」という声が上がるのは、レースの勝利による利益を得る騎手・調教師・厩務員がみなJRAに属してしまっているためです。

この仕組み自体に問題があるのですが、それはさておき。

厳密に言えば利益共同体ではあっても「属している」わけでもないので、分けて考えることはできます。

それぞれが別の組織と考えて、どこの誰が馬に対する責任を持つべきか考えてみてください。


はっきりしていることは、JRAは興行主であり、ギャンブルの場と賞金を用意する立場であること。そして馬券売上から控除されて国庫納付金となった3/4は畜産振興に当てられていることです。

この国庫納付金の仕組みは、例えば、100円の勝馬投票券のうち、約75円はお客様への払戻金に充てられ、残りの約25円が控除されます。この約25円のうち、10円が国庫に納付されます。これが第1国庫納付金と呼ばれるものです。残りの約15円がJRAの運営に充てられ、これにより各事業年度において利益が生じた場合には、その額の2分の1がさらに国庫に納付されます。これが第2国庫納付金と呼ばれるものです。

この国庫納付金は国の一般財源に繰り入れられ、そのうちの4分の3が畜産振興に、4分の1が社会福祉に活用されています。

国庫納付を通じた貢献 JRA

つまりJRAは畜産を振興する立場です。国民全員がビーガンにならない限り、競走馬だけは別にしろというのは無理な話です。

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動物愛護法に基づくならば

環境省自然環境局・動物愛護管理室のサイトには「飼う前も、飼ってからも考えよう」という、動物愛護を啓発するパンフレットがあります。

宣誓!無責任飼い主0宣言

このパンフレットでは、一般的な観点から動物を飼うことの責任について書かれています。

生き物にかかわるなら責任を持てと言っているわけです。

 

「ペットを飼うなら責任を持て、途中で投げ出すなら飼うな」という動物愛護の立場なら、馬にも同じ原理を当てはめることになります。

馬は犬猫に比べて飼うための費用が大きく、体の大きさからもふつうの家での飼育は難しい。

個人で引退後の馬の面倒を見続けるのは困難であることから、馬と犬猫は別問題とする考え方もあります。

しかし馬のオーナーが飼い主であることには変わりありません。動物の命に責任を持てと言うなら、オーナーが責任を負うのが筋です。

買う際に4百万、5百万円は出せるのだから、「一生責任をもって面倒を見るべき」というのは無茶でもなんでもない。犬猫についてよく耳にする「面倒をみきれないなら飼うな」という正論は、馬主にも当てはまります。

動物愛護の立場の人が引退後の競走馬の面倒を見きれない飼い主が多い状況を目にして、「競馬は馬に対する責任感がなさすぎる。この状態を改善できないなら廃止すべき」というのはむしろ当然のことです。競馬関係者は無責任だから競馬は廃止すべきというのは正論です。

廃止論は行き過ぎでも、馬券売上げが下がればサラブレッド生産頭数は減ることは事実。馬がかわいそうと思う人は馬券を買うのを控えるべき、と言われれば反論のしようはありません。

引退後の競走馬の「処分」を好ましくないと考えている人なら、これらの正論に対して返答に窮するしかありません。

注)「競馬は廃止すべき」は正論であっても他の動物同様に「牛食ってるのに、なんで馬を食べていけない?」「利用して何が悪い?」という人には通じません。正論なのに通じない理由は両者で線引きが異なるためです。

 

宗教上の理由で豚肉を食べてはいけない人から「豚肉を食べてはいけない」と言われても、あなたは「知らんがな」と思うことでしょう。それと同じ構図が横たわっています。

 

線引きが人によって異なるだけで何が正しいのかは分かりません。相対主義に陥っているわけではなく、客観的な判断基準がないので正解がない。つまり否定する根拠も肯定する論拠もないわけです。あえて根拠を求めるなら歴史・文化になります。

 

責任ある態度とはなにか

先に引退後の馬の面倒を見ないのは無責任と書きましたが、ならば「責任ある態度」とは何か。そこで考えるべきは「飼い主としての責任」となります。

競走馬引退後も飼い続けるつもりのオーナーでも、経済状況は変わることがあります。馬を維持できなくなることもあるでしょう。しかし、それは犬猫も同じです。

面倒を見られない状況に陥り、自分の手で幸せにしてやれない。新しい飼い主も見つけてやれない。そうなった時に処分するのはいけないことなのか。

あるいは肉として売ることはなぜいけないのか。

肉となるべく売られる馬は、値がついても「行き先のない馬」なのか。

お店で売られている肉を食べている消費者は無関係なのか。

そこから考る必要があります。

 

動物はなんのために生まれたのか

「一所懸命走った馬を、用が済んだら殺すのか」という人もいます。これも正論ではあります。

利用するだけ利用して殺すのはよろしくないと考えるのはふつうの感覚ですよね。

それなら乳牛はどうでしょう。さんざん乳を搾られたあげく廃用にされるのは偲びなくはないですか?

牡牛は用なしで最初からお肉行きの運命。牝牛は子牛を何頭か産んで、乳の出が悪くなるまで利用されたら、あとは同じくお肉です。

「サラブレッドは肉にされるために生まれたのではない」というのなら、馬はそもそも走るつもりで生まれていません。「走るために生まれてきた」は人間の勝手な論理で、馬はできれば全力疾走なんてしたくない動物です。

引退後の競走馬が肉になることに違和感が生じたなら、競走馬と違って目につかない場所にいる牛豚鶏も含めて「家畜」とは何かを考えることになります。

今の時代、共感が大切と言われますが、共感される馬とされない牛。「共感」の恣意性から発するこの非対称性にどう折り合いをつけるのか。ここを無視しては通れません。


動物の虐待は論外ですが、動物についての考え方は人それぞれ。どうしようもない部分もあります。

だからこそ、馬牛豚鶏に犬猫も含め、動物への接し方や扱い方について、個々人で

  • 自分の考えを押し付けることはやめる
  • 家畜と愛玩動物の違いについて考える
  • ペットも自由を奪われ、強制的に人間に依存させている
  • 殺すために生まされている牛、豚、鶏も含めて、馬をお肉に利用することの是非
  • 引退後の馬の行く末に誰がもっとも大きな責任を負っているのか

こういった問題について、きちんと考えてみませんか?

 

ここからは余談です。

食われるために産まされて、そしてほぼ確実に食われる立場の牛や豚からすれば、「いただきます」と言われたところで嬉しくもなんともないでしょう。

 

突然宇宙人がやってきて、あなたが捕まって食われたら、感謝の言葉を口にされたところでなんの慰めにもならないでしょう?

 

「命をありがとう」なんて言うくらいの謙虚さがあるなら、食うのを我慢したらどうだよと私なら思います。

こっちの意図なんか無視して勝手に食っておいて「ありがとう」ってどれだけ傲慢なのか。

 

筆者も含め、みながこう感じないのは、動物と人間は別であり、食っていいと思っているからです。

馬をえこひいきするのではなく、食べるという行為の罪深さを再認識し、牛馬犬猫、何が違うのか。そこから考えないことには、かわいそうで終わってしまいます。

なお、現在の枠組みでも競馬主催者にもできることはあり、引退後のマッチング支援や、引退馬を飼養している組織や個人に補助を始めていることは付け加えておきます。

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