競馬での馬の不適切な扱い

成績を残せなかったサラブレッドの大半が寿命を全うできない競馬は、残酷なシステムと言えます。

しかし生きている間の扱いは動物の福祉の観点から大幅に改善されています。

かつては馬に力づくで言うことを聞かせることは珍しくなかったようですが、今ではいかに馬のやる気を削がずに走らせるかという観点から、馬にとって理不尽すぎる(と思われる)ことはあまり行われなくなっています。

レースに勝てなければ、あるいは運が良くなければ天寿を全うできないという構造上の問題を別にすれば、競走馬は大事に扱われています。

と、いいたいところなのですが、そうでないケースもあるのが現実です。

 

名古屋競馬

いずれも名古屋競馬での丹羽克輝騎手の馬への虐待。

2018年7月2日

ゲート入りを嫌う馬にムチを入れたり殴ったりしています。人の目がある時にこれでは、調教時にどんな扱いをしているか知れたものではありません。

 

こちらは2016年4月11日のレース。入線後に馬を殴っています。

4月11日の名古屋競馬3Rで丹羽克輝騎手がメイショウコルシカの頭をブン殴る暴挙。1番人気に推され、最後の直線で必死に追い込むもハナ差届かず2着に敗退。よほど悔しかったのか、頭にきたのか、LIVE映像に映っている事も考えず虐待。ネットでは「これはひどい」「無防備な馬の後頭部殴るとか畜生にも程がある」「永久追放やろこんなん」「騎手の馬でもないのになにしてんねん。仮に騎手兼馬主でも絶対許せん。」と批判のオンパレード。

 

処分は戒告だったとのこと。

この事件について主催者は戒告処分をしたのみで、「過怠金○万円」「○日間の騎乗停止」など中身のともなったペナルティは何も課せられませんでした。戒告処分というのは口で注意するだけなので、いったいどの程度の注意が行われたかはわかりません。形だけの注意だったかもしれないわけです。

その事件について、このブログでは今まで触れてきませんでした。地方競馬を応援するブログだから都合の悪いことには触れないようにしたかったというわけではなく、「そのうち何らかの形で誠意を見せてくれるだろう」と信じていたからです。何らかの理由があって主催者側で重い処分ができないのだとしたら、丹羽騎手が自主的に謹慎するでもいいし、主催者に言われずとも「関係者が自主的にしばらくの間は丹羽騎手に騎乗依頼をするのを控える」とか、どんな形でもいいので誠意を見せなければいけなかったはずです。

しかし、1年以上経ちましたが丹羽騎手も主催者も名古屋競馬の関係者も、誠意を見せてくれることはありませんでした。丹羽騎手は昨年も名古屋リーディング7位と好調な成績を収めていて、メイショウコルシカを殴った事件の後も何事もなかったかのように騎乗を続けています。今はサンデンバロンという有力なお手馬がまわってきており、交流重賞や他地区の重賞に打って出そうな勢いです。

1年前に名古屋競馬の丹羽克輝騎手が馬を殴った事件について – 続・地方競馬ってどうなん?

馬が痛みを感じているかどうかは分かりませんが(個人的には痛みは感じていないと思う)、走りきったのに叩かれるのは馬にとって理不尽な扱いであることは確かです。

この手の問題は地方競馬に限ったことではなく、入線後のムチは中央競馬でも似たようなことがありました。

 

中央競馬

2015年10月31日、福島福島1R 2歳未勝利
タマモシルクハット

入線後に頭にムチを入れてますが、こちらも戒告処分。

次走にも騎乗していることから、馬主もあまり気にしていないのでしょう。

 

馬の扱いにうるさい国だとどうなるか

馬の福祉に(よくも悪くも)うるさい欧州やオーストラリアでやったらどうなるのか。

ゲート入りを嫌がる馬にパンチを食らわせて2週間の騎乗停止をくらったケースがありました。

このケースでは律儀に馬から降りて殴っているけど、乗ったままやったとしても変わらないでしょう。

イメージを意識しての「政治的」な理由から重いペナルティを課すのは好ましくありませんが、動物の扱いのプロとしての品行は厳しく戒められる必要があります。

 

昔の馬の扱い

30年くらい前、80年代だと馬を威嚇したり乱暴に扱うのは珍しくない光景だったのかもしれません。

たとえばJRAの調教師藤沢和雄の著作『競走馬試論』には、イギリスでの修行から帰国して働き始めた中山競馬場での馬の扱いが書かれています。

時期的には1977年頃なので、今から40年前の光景です。

私にはフィジカルな問題以前に、馬の精神面でのケアがまったく考えられていないように思えた。わかりやすい例を挙げれば、厩舎村のいたるところで、馬を大声で叱ったり、ハミのついた引き手を手荒に引くといった光景が日常的に見られた。馬房から引き出そうとしても出ない、指示とは違う方向に行こうとする、馬具の装着を嫌がって暴れる、そういったとき、少なからぬ厩務員が怒ったような声で馬を威嚇し、人間の命令に従わせようとしていた。

馬の成長度を第一に考え、大事に扱うことで知られる藤沢は、帰国直後のイギリスと日本の馬の扱いの差に愕然として、再び海外で働くことも考えたとあります。

藤沢が納得がいかないことを改善するのは88年に調教師になってからのこと。30年前のことですが、その当時でも馬の視点に立った考え方は一般的ではなかったようです。

丹羽克輝騎手は古い時代の意識があるのかもしれません。しかし、後の二人のケースは世代が違うのになぜ、という疑問は残ります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。