競馬は残酷なのか 残酷とは何かを考えることから始める

「競馬ではムチを打たれてかわいそう」「勝てなければ殺されるのはひどい」こんな感想を耳にすることがあります。

馬はレース中に鞭を入れられれば痛いだろうという研究がありますが、本当に痛みを感じているか、そして全力で走っている時にそのまま痛みを感じているかという部分は不明です。

鞭によるストレスの値を調べたくても、レース中はすでにストレス一杯なので計測することはできないでしょう。

馬の主観的な痛みは分からないながらも、現在では「馬も痛いであろう」という考え方に基づいて、鞭の使用回数は制限されるようになりました。したがってこの点はクリアされつつあります。

競馬で勝てなければ殺されることや、サラブレッドも人間の食べる馬肉になることは競走馬残酷物語という記事で書きましたが、この点では”かわいそう”と言えます。

それと同時に、走る能力に劣った馬が殺されることがかわいそうであるなら、食べられるために産まされる牛はどうなのかという疑問がわきます。乳を絞るだけ絞られて、出が悪くなったら処分される乳牛の扱いは残酷ではないのか。牛乳1リットル1,000円、2,000円になってもいいから、乳牛を寿命まで生かして欲しいと考える人がどれだけいるのでしょう。

家畜として飼われる動物は多かれ少なかれ人間の都合によって繁殖させられ、そして人間の都合によって処分されるという”残酷”な扱いを受けます。

馬にも好みがあり、牝が牡を拒否することもあれば、好みでない牝には乗っからない牡もいます。動物には好みの異性を選ぶ自由など与えられません。

こう考えると、”なにを残酷とするか”の基準がないと、家畜を利用すること全てが残酷となることに気づきます。これでは話が進まないので、ここでは「動物の福祉」をもとに、”残酷”について考えることにします(「動物の愛護」にしないのは、基準がはっきりしないため)。

動物の福祉は”処分”することは問題視せず、できるだけ動物に苦痛を与えない扱いを目指す考え方です。”家畜の扱い方”が根っこにあるため、人間の都合で動物を屠殺することの是非は問われません(人間に都合のいい動物利用に反対する「動物の権利」を擁護する考え方もあります)。

動物の福祉で屠殺自体が問題とされない理由

動物の福祉(アニマルウェルフェア)では家畜の扱い方を改善することを源流としているため、屠殺して肉を食べるという行為は問題とされません。

食肉を問題視するとビーガンにならざるを得えないという事情もありますが、おそらく人間が動物を食べていけない理由が見いだせないのだと思います(牛豚を食べておきながら、クジラを食べることを非難する人々の理屈が分からない感覚に近い。クジラだけ食べていけない理由が見いだせない日本人は多いことでしょう)。

動物を食べることが問題でないなら、何を”残酷”とするか。

それは動物に「苦痛」を与えること。

  • 飢えおよび渇きからの自由(給餌・給水の確保)
  • 不快からの自由(適切な飼育環境の供給)
  • 苦痛、損傷、疾病からの自由(予防・診断・治療の適用)
  • 正常な行動発現の自由(適切な空間、刺激、仲間の存在)
  • 恐怖および苦悩からの自由(適切な取扱い)

動物が生きている間だけでなく、殺す瞬間に至るまで苦痛を与えないことを目標としています。言い換えると「できるかぎり動物にストレスを与えない」ようにする、ということ。

この条件は家畜・野性を問わず適用されるため、日本の調査捕鯨でもクジラに痛みが少ない方法で獲られています。

魚の活き作りは昔から海外から非難されています。2000年前後からは魚や甲殻類にも痛みがあると考えられるようになり、海老にも痛みの伴わない殺し方をすることを義務付ける法律が施行された国もあります。CrustaStunという電気ショックで甲殻類を殺す機械は欧米の映画などでもおなじみとなっています。

動物の福祉は欧米の”食肉”という文化を背景にした一種の”思想”であるため、ある程度の一貫性が求められます。

人間の都合が前提となっているために穴も例外も多いものの、表面上できることは実行しようとします。

 

馬の福祉は改善されている

ストレスをできるだけ与えないという動物の福祉の観点からは、競馬における馬の扱いは改善されています、

機材の進歩により動物のストレスへの反応も計測しやすくなったため、国内外を問わず馬のストレスに関する研究が進んでいます。

実際、競馬での鞭の使用をはじめ、競走馬の扱いはよくなっている。

粉砕骨折で予後不要の診断をされたのに安楽死措置が取られず、翌日、食肉用に屠殺されたハマノパレード事件を教訓に、予後不良の診断が下った馬は薬殺による安楽死措置が取られるようになっています。

JRAの管理区域内での事故で予後不良となった馬の馬主には見舞金(競走馬事故見舞金)が支払われるため、無理やり生かし続ける動機もなくなっています。

レースの結果と鞭の使用に因果関係がない研究結果もあるため、鞭の使用もさらに厳しく制限されることが見込まれます。

馬に限らず動物全般に対する福祉の向上から屠殺方法にも留意が払われるようになっており、フランスでは屠殺場に監視カメラが設置されています。

 

馬の胃潰瘍はストレスの証

馬の扱いは改善されていますが、馬の抱えるストレスの問題はついて回ります。

馬の胃は構造的に胃潰瘍になりやすく、ストレスを受けると発症します。

2010年2月に競走馬総合研究所の行った調査では、育成馬(競馬に出る前の訓練中の馬)の27.1%が胃潰瘍だったという結果が出ています。競走馬では76.9%が胃潰瘍を患っていました。

やはりレースや馴致(馬の訓練)は馬にとってのストレスとなります。

海外でも競走馬の胃潰瘍率は高い割合を示しています。

  • 競走馬:66 ~ 93%
  • (レース向け)調教中の競走馬 : 80 ~ 93%
  • エンデュランス: 67%
  • 馬術競技馬 競技前:17%、 競技後:56%
  • 乗用馬(多く乗せている馬): 60%

ここで注目すべきは、乗用馬でも60%が胃潰瘍となっていること。

競走馬が胃潰瘍を患って”かわいそう”なら、”乗用馬もまたかわいそう”となります。乗馬クラブでよく働いている馬は胃潰瘍の可能性が高いでしょう。

馬の胃潰瘍は人間と同じく、胃酸抑制剤での治療ができます。「ガストロガード」という何やら聞き覚えのあるような名前の薬も販売されています。

 

ストレスとは何か

ここはきちんとした定義のため、競走馬総合研究所の馬事通信より引用します。

「ストレス」と言う言葉は、色々な人が色々な意味で使っていて、分かっているようで分からない言葉です。もとは物理学で使われていたことば専門用語ですが、カナダの生理学者であるセリエ博士が1936年に「ストレス学説」なるものを発表したことからこの言葉が一般的に使われ始めました。人間や動物は外部からの様々な刺激から身を守るために自律神経系、内分泌系、免疫系の働きによって体を調節し適応しようとしています。この様に体が刺激に対して適用しようと反応している状態が「ストレス」と呼ばれる状態なのです。

馬事通信

馬のストレスは、いわゆるストレスホルモンを計測したり、呼吸・心拍数などから観察されています。

生物が生きていればなにがしかのストレスには晒され、人間もストレスと付き合っています。ストレスに付き合いきれずうつになり、時には自殺にまで追い込まれます。

馬だけがストレスを受けない環境を作ることなどできません。慣れることでストレスを感じなくなることもあります。

そう考えれば、最終的にはどこまでが許容されるのかという程度問題にいきつきます。

 

馬はストレスを受けやすい

一度嫌な思いをしたら忘れることはないと言われるほど馬は臆病です。臆病な性質はつまり、ストレスとなる要因が多いと考えられます。

なじみのないものがあったり、見知らぬ場所を訪れることはストレスとなります。

野性で肉食獣に襲われれば間違いなくストレスとなります。全力疾走をすれば、肉体的なストレスにもなります。

では、競走馬としての馬にとってのストレス要因は何か。

元来、馬は群れで暮らし、草地を自由に移動しながら、1日の大半は草を食べて生きている動物です。放牧地でのびのびと草を食んでいる姿は、馬の本来の姿に近いものです。しかし、この様な状態でも優劣関係や熱暑寒冷などのストレスは存在します。また、競走馬としていずれは競馬場のような特殊な環境下で生活しなければならない時がやってきます。1日の大半を馬房で過ごす厩舎での生活は仲間と隔離された状態にあり、飼葉の時間も規則正しく決められています。運動自体もストレッサーの一つに挙げられます。レースでは激しい運動により激しい生体反応が引き起こされることになります。

馬事通信 

馴致ではじめて馬装を見せられ、背中に乗せられてとなると、相当なストレスのはずです。ゲートインを嫌う馬にゲートに入ることを教えるのもストレスとなっています。慣らすまでには相当なストレスをかけています。

全力で走れば肉体的ストレスを感じ、走りたいようにも走れなければ精神的にもストレスを受ける。

馬込みが苦手な馬は、レース中に囲まれたらストレスを受ける。全力で走るだけでなく、レース展開によってもストレスを受けることになります。

逆に、馬込みを気にしない馬もいます。受けるストレスの大きさと順応は馬それぞれに違っています。レースが苦にならない馬にはよくても、競馬に合わない馬にとっては、競走馬としての生活はストレスだらけとなるでしょう。

 

競走馬のストレス解消法

馬のストレス解消法は、やはり自然状態でいること。

睡眠の前段階として、いかにリラックスできるか。メンタルな安らぎが馬には必要です。

一番はなんといっても放牧。競走馬は強いストレスから胃潰瘍になりやすく、重症になると飼い葉も食べられなくなる。そんな馬を北海道の放牧地に行かせると、ウソのように元気になります。

緑の放牧地で青草を食べて、草原で走るというのが、馬にとっての最高のストレス解消なんですね。うちの厩舎でいえば、デニムアンドルビーがそうでした。真面目で頑張りすぎる優等生タイプが、ストレスを多く抱えるようです。

もちろん、のんびり過ごすだけではなく、軽い乗り運動ぐらいは行ないますが、空気感が違うので馬にとっては居心地がいい。広大な風景に接すると、人間だって気持ちがよくなるでしょう。

角居勝彦調教師 競走馬のストレス解消方法について語る

しかし野性の頃であっても肉食獣に狙われたり、怖いと思うことがあればストレスを感じていたはずです。

暑さ寒さもストレスになります。蹄を痛めたり、歯を調整もしてもらえません。

自然状態がストレスフリーではありませんが、自然の摂理に基づくのなら致し方のないこと。

どこまで人間がストレスを与えるのをよしとするかの問題となります。

 

競走馬の純血志向

競馬はブラッド・スポーツと呼ばれるだけに、血筋のせめぎあいの歴史でもあります。強い馬の血脈は残り、弱いものは淘汰される。サラブレッドの元となった100以上いた種牡馬の系譜は、現在では3つにまで減っています。

速さを求められる競走馬の交配は、気性のよさや丈夫さよりも走る能力が優先されます。その結果、蹄は薄く、脚は細くなっています。動物として考えた場合、不自然な方向で淘汰されています。

これをもって競馬を残酷とし、競馬自体を無くしてサラブレッドの生産に歯止めをかけるべきという考え方もあります。

 

「純血」は遺伝的な問題を抱える傾向があるため、動物のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)から考えれば混血が好ましいという事実があります。

さて、純血の品種は馬に限らず存在し、犬猫でも純血より雑種のほうが遺伝的な問題の発症率は下がります。

ペットの犬猫は遺伝上の問題を抱えるにも関わらず、なぜ純血の繁殖が残酷といわれないのか。

犬猫が飼い主なしに一人で街中をうろついていれば保護と称して捕まえられ、人間の飼い主を探されてしまう。

野生化すれば狩猟鳥獣となり(時期さえ問題なければ)殺しても構わない。ご都合主義もいいところで、人間に飼われることでしか生きながらえる術はありません。

馬と違い犬猫は飼い主が見つかって生きながらえることができるかもしれない。しかし、特定の人間に隷属させられる義務を負います。

犬猫の純血は進み、犬猫は野良として生きていくことは許されない。これは犬猫の自然にとって残虐ではないのでしょうか(動物の権利を認めるなら、虐待とも考えられる)。

 

どこで折り合いをつけるかを考える

残酷か残酷でないかを考える時には、”自らのエゴ”を認めた上で、何を基準にするかをきちんと考える必要があります。

あなたの考え方に近いものは「愛護」ですか?「福祉」ですか?それとも「権利」?

考え方はそれぞれです。あなたが競馬は残酷だからやめるべきと考えるのも自由です。行動してもいい。競馬を続けてほしいと願う側はそれに対応すればいい。

いずれにせよ動物の扱いで残虐と感じることがあったら、どこまでが残虐で、どこからをよしとする範囲なのかをはっきりさせる必要があります。

よしとする範囲を線引きをすると、人間のエゴが”あらわ”になります。愛護はそのエゴを前提とするしかありません。

「こう思う」「こう感じる」といった経験や感情は思考の原点ですが、そこで終わってしまえばただの感想。共感する人はいても、そうでない人には言葉は届きません。

「情に棹させば流される」のも「智に働けば角が立つ」のも漱石の時代から変わりません。波風を立てたくなければ黙るしかない。結果として、現在のあり方がだらだらと続きます。

日本での鞭の制限は、海外の動向を見据えて対処したもので、国内のホースマンや競馬ファンの圧力によって変化したわけではありません。

”かわいそう”と思いつつも思想にまで昇華させなければ現状が維持されます。「頭が痛くなって考えるのが嫌」というくらいみんなが考えることで、現状を打破する可能性は見えてくるかもしれません。

たとえば競馬が続いてほしいと思うなら競走馬から乗馬への調教に支援するだけでなく、「受け皿」となる乗馬人口を増やすという考えにもいきつきます。

より多くの人がより多くのお金を乗馬産業に使うようになれば、定期的に内視鏡検査も行い、胃潰瘍があれば治療を行うこともできるようになるでしょう。そうなればストレスのない馬に触れる機会も増えることになる、かもしれない。

アニマルウェルフェア(動物の福祉)について

日本馬事協会 農林水産省

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