『名馬はことごとく悍馬より生じる』
(めいばはことごとくかんばよりしょうじる)
「名馬というものはすべて気性の激しい馬から生まれる」という意味のこのことわざは、人間の子どもについて語られた言葉です。戦国時代であれば「尾張のうつけ」と呼ばれるほどやんちゃであった織田信長などがこれに当たるのでしょう。
競馬では「気性の激しさがいい方向に出た」などと言われるように、気性の荒さは必ずしもマイナスにはなりません。競走馬ステイゴールドは調教助手が「肉をやったら食うんじゃないかと思ったほど凶暴だった」と語っています。その父サンデーサイレンスもまた気性の激しい馬でした。
もっとも気性が悪く能力のなさそうな馬はそもそも買い手が見つからず、出走までこぎつけても力を出しきれないでしょうから気性の激しさが強さに結びつくとは限らないのですが…
精悍といえば一般的にはポジティブな言葉ですが、悍には「おぞましい、我が強い、猛々しい」といった意味があります。悍馬は非常に気性が荒い馬のことを指しています。
『男子須らく巌頭に悍馬を立たしむべし』
(だんし すべからく がんとうに かんばを たたしむべし )
「男子と生まれたなら危険にも立ち向かうべきだ」といった意味。こちらは明治の元勲江藤新平の好んだ言葉です。
気性の荒い馬(悍馬)に乗って巌頭(高く突き出た岩)の上に立つべきというのだから無茶もいいところ。
さまざまな解釈ができますが、いずれにせよ険しい道を進めという意味では共通することでしょう。
日本人は悍馬が好きだった
上の2つの言葉から分かるのは、名馬は悍馬であることの条件であり、悍馬に乗ることは危険だが試みるだけの価値があると考えられていたということ。
悍馬を乗りこなせるのはステータス
気性が荒く人を寄せ付けない馬を乗りこなせることはステータスにもなりました。そして名馬=悍馬を持つことは羨望の対象でした。
気性が荒いことで有名な名馬としては、
- 源頼朝に献上された生食(いけづき)は、生き物を食ってしまいそうな凶暴さから名付けられた
- 源義仲(木曽義仲)の最後を共にした鬼葦毛(おにあしげ)は、文字通り鬼のような激しさの馬だったとされている
- 武田信玄の愛馬、黒雲(くろくも)は信玄以外を乗せなかったことで知られる
などがいます。
名馬=悍馬なら、性格が穏やかになる去勢などという発想は浮かばないことでしょう。
馬は移動手段であり、騎乗での戦闘は弓。騎馬軍団の運用がほとんどなされなかったため、それほど従順さが求められなかったのかもしれません。左手を弓手(ゆんで)、右手を馬手(めて)と呼ぶように、武士の馬術は弓が基本。
馬の去勢
去勢された牡馬は騙馬と呼ばれ、「セン」とも表記されます。タマタマを取ってしまうため種牡馬になる道は閉ざされます。
騙馬にするメリット
去勢されて騙馬になると、男性ホルモンを作る場所がなくなるため攻撃性が減り、従順な性格になります。個性もあるため必ずしも全ての馬が温和になるわけではありませんが、発情(フケ)など時期によって気難しくなる牝馬よりも扱いやすくなります。
その他にも体質が安定する、生殖器官系の病気を避けられる、意図しない交配を抑制できすといったメリットがあります。
馬が重要な資源であった遊牧民は馬の交配も管理して種の固定を行ってきました。サラブレッドとも関わりが深く、かつては競馬も行われていたアラブ種はその代表格といえます。
日本では行われていなかった去勢
去勢は世界的には野生動物の家畜化をはじめた頃から行われていたと考えられていますが、日本では明治期になるまで行われていませんでした。
去勢と牧畜文化には密接な関係があるため、古代の狩猟採取からはじまり農耕に至った日本で行われなかったのは当然かもしれません。しかし中国からさまざまな文化や制度を取り入れはじめてからも去勢がなかったのは不思議に思われます。
馬の去勢をしなかった背景には「悍馬をいなしてこそ」という考え方があったのかもしれません。手綱を取っての騎乗は武士のみに許された行為で、馬に乗るということは軍事と結びついていたため、猛々しさは残したかったのでしょう。
しかし牛や豚まで去勢しなかったとなると、それでは説明がつきません。
もう一つ不思議なことは人間の去勢です。
遣隋使が送られていた時代には中国文化の影響が強かったにも関わらず、科挙、宦官、纏足は受け入れませんでした。宦官は中国ばかりか世界各地で見られる制度なのに取り入れず女官が仕切っています。
ひょっとしたら動物を含めて、性に対するなんらかのはっきりした考え方があったのかもしれませんね。
悍馬が減る現代
馬の立場から19世紀に書かれたアンナ・シュウエルの小説『黒馬物語』(ブラックビューティー)の時代から1世紀以上が経った現代では馬の扱いも変わり、きちんと扱えば人間を攻撃しないと言われています。
人間に慣れた馬でもうっかりで蹴ってしまった、踏んでしまった、カプッと噛んでしまったということはありますが、攻撃の意図のないものです。
その一方、生来の気性の悪さはあるにはあって、在来馬などは気性が荒いものも多く馴致に手間取ることがあるようです。気性よりもスピードとスタミナという能力が求められる競走馬にも気性が激しいものが多くいます。
しかし素直でありながら強さを見せつける馬も多数見かける現代では、悍馬と名馬に相関関係を見いだすことは難しいでしょう。