乗馬人口が少ない理由という記事では、日本の乗馬環境の選択肢の少なさを、日本の乗馬人口が増えない理由として挙げました。
もちろん他にいくつも理由は考えられますが、もう一つの大きな要因は、リスクへの意識かなと思います。
日本はリスクへの意識が高い
日本人のリスクを避ける傾向はよく指摘されますが、馬にも当てはまると思ったのが、このビデオを見ていたときのこと。
【ビッグバン対談 第1回】 国民民主党 玉木雄一郎 代表 VOL2
うちゅうかあさんこと「水野もとこ」さんと玉木雄一郎国民民主党党首との対談で、「日本での有人ロケットが進まないのはリスクコンシャスによるものではないか」と語っています。危険を犯してまで勧めるのは難しいのだとか。
事故が起きたらどうすんだ!という観点から、小田嶋隆は「リスクを取りたくないのではなく、責任を取りたくない」と評しています。たぶんどちらも正しいのでしょう。
「リスク」というのは「悪い事象が起こる可能性」で、重大性と可能性によって計算されるものです。リスクとベネフィットというように、大きい小さいで判断できるものです。
そんなことを考えていたときに思い出したのが『ウィンキーの白い馬』という映画。
オランダで馬に魅了た主人公の中国人少女「ウィンキー」は、馬に乗りたくて仕方がなくなる。なのに両親は危険だといって乗馬をさせてくれない。
ウィンキーは親に隠れてこっそり牧場に通ったりするのですがなかなかうまくいかない。なじみのないことにはリスクを高く見積もりがちですが、ウィンキーの両親の反対の仕方をみていると、リスクの大小を比較する前に、回避があるのかなと感じます。
事故が起きると叩かれる
何年か前に、自然状態で生存している半野生馬の生息地で、子どもが馬に頭を蹴られて意識不明になったという事故がありました。
報道では「蹴られて意識不明」としか報じられなかったのに、「親の不注意だ」とか「気をつけていれば避けられた」と非難する人がいました。
「不注意だったかどうかなんて分からんし、注意していても事故は起きる」「たとえ不注意であったとしても、一番後悔しているのは親だろうに、責めるなよ」と、私は思ったのですが、どうやら共感は得られなかった。
どうやら事故が起きたことで、観光資源として保護されなくなることを心配していたようです。
これは馬のことですが、一般にもこういうことありますよね。
同じような事故に遭ったのが身近な人なら同情するのに、知らない人は叩いたりすること、ありません?事故に遭って後悔しているところに追い打ちをかけられるのを見ていれば、リスクは避けたくなります。
リスクをどう捉えるか
事故ってどうやっても起きます。たくさんの事例を集めれば、10万人に何件の事故が起きるかも分かります。なにも変化がなければ、毎年だいたい同じ数字になる。
一定の確率で起きるんですよね。
気をつけるのは当たり前。だれも事故りたくはない(あおり運転とかそういうのは別として)。
そして、一般的なスポーツよりも事故の割合が高い乗馬では、乗るという選択肢がはなから小さいのかもしれません。
逆に、慣れてしまうと、リスクを小さく見てしまう。なんでそんなことが起きた?と思うような事故は、慣れによるミスが含まれているようです。人間の認知能力はかなり大雑把です。
慣れている人とそうでない人とのギャップをいかに埋めるか。これが意外と重要なのかもしれません。
知り合いが馬に乗って道路をお散歩してる姿を通りすがりに見ると「ああいうのいいね」と思う人もいます。「乗ってみたい」と思うかは別ですが、接する機会の多さはリスクを高く見積もらなくなる効果はあるのかもしれません。
