朝日新聞の論座に、梶原葉月さんのペットの室内飼い 世界の常識ではない! という記事が掲載されていました。
以前書いたこちらの記事では(数字を探すのが面倒で)海外では外飼は珍しくないという具体例だけ書きましたが、梶原さんの記事では、海外での外飼いに対する考え方と実際が詳しく書かれています。
現在無料で閲覧できるので、興味がある方はお早めにご一読を。
動物の権利の視点から書かれているので違和感がある人もいるかもしれません。
梶原さんは動物の権利を考えるAASAの学会に出席した学者たちの認識として『動物のなかで「人間」を特別な存在と位置付けることへの違和感』があるとしています。
ここで触れられている違和感は種差別のようですが、これはそこにいる人たちの見解です。必ずしもその人の国の動物に対する考え方を反映しているわけではない点には留意は必要でしょう。
キリスト教的な「人間は特別」観がそんなに薄れているのかは疑問ではあります。人間に従順で危害を加えないことが、ペットの生きられる唯一の道であることには変わりがないのだから(人間から離れて、犬同士の群れで暮らす権利は認めていない)。
と、疑問はさておき、声を出して笑ったのがこちらの一文。
日本では、とにかく動物にも人間にも強制される規則が多い。もともと動物にも人間にも権利があったことを忘れがちである。
人間には「権利があったこと」と過去形になっている。いや、現代において人間に権利はありますって。
権利という言葉は毛嫌いされがちですが、学生運動や労働争議があった時代は認識されていたはず。今は薄れてしまったことを指摘しているのなら理解できる一文でもあります。
ここからは極論になりますが。多数派が他人の権利に踏み込むことに鈍感なのは、いじめる側がいじめていることに鈍感である構図と似ています。
私たちは他人の痛みには鈍感です。だからこそ、痛いからやめてくれと言いやすい環境や、子どものいじめなら大人が対処する枠組みも必要なのです。
この枠組み作りが日本は下手です。自己責任として個人に投げてきている。
ペットを適切に飼育しろというなら、標準的な飼育方法を知るための講座を自治体が行うべきだし、しつけに失敗した時に気後れすることなく相談できる窓口もあるといい。
そんなことも知らないなんて無責任な飼い主と謗られる心配があると、相談しにくいです。非難する人の数は少なくても目立ちますから。
ペットが適切に飼育される社会を望むなら、求められるのは正しい知識が周知される環境です。知らないことを非難して相談しにくくするのは合理的ではないですよね(もちろん悪質なら取り締まりが必要です)。
話がそれましたが、動物の権利なんて考え方が合わない!という人も多いかもしれません。
しかし合わない人の考えを「知る」ことも大切なことです。時間に余裕があったら読んでみてください。