『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』は、ニューヨーク誌のジャーナリスト、ジョン・ ホーマンズによる、ノンフィクション作品。タイトルの通り「犬」がテーマですが、現代社会における動物と人間の関係を考えるのに示唆に富んだものになっています。
読み物としてばかりでなく、考えるためのとっかかりとしても面白いです。難点はやや古いこと。「最新の犬研究が網羅された「犬学」入門書&犬好き必携の書」と銘打たれているものの、原著の出版年は2012年。10年近く前のものです。
ペットと触れ合う中で形成される動物観は、ともすれば人間を投影して擬人化に走ってしまいます。自然な感情として、人間の行動原理を動物にも当てはめてしまう。擬人化をしても支障がなければそれはそれで構わないし、むしろそのほうが都合がいい側面もあります。
しかし、客観的に「犬」ってなんだろうと考えようとすると、擬人化をしていると見えなくなってしまう部分が生じる。
著者のホーマンズは、愛犬ステラとの関係で人間を投影する感覚的な部分を踏まえた上で、犬と人間との歴史を振り返り、あるいは科学的な知見を用いることで、人間と犬の関係をあざやかに描き出します。
犬の行動原理を一つ一つ紐解いていくことで、「犬」という動物に近づいていきます。たとえば、犬が飼い主に対して示した行動が、人間の子どもが母親に示す行動にそっくりだったという実験結果から、「ステラの『従順さ』とみなしてきた行動の一部は、愛着によるものと理解すべきなのだろう」と述懐しています。
内容は多岐にわたっています。「犬学」から得られた知見の紹介したかと思えば、「犬はバカな動物か」といった犬観を検証しています。そして、犬のコミュニケーションや犬と人間の心などについて考えたりもする。
「犬観」の後は、現代の抱える問題に焦点が移ります。たとえば純血種の福祉上の問題や殺処分問題、そしてノー・キルを巡る対立へと進みます。
15章の「犬の権利」では、現在の日本でもアメリカでも求める人の多い殺処分ゼロ(ノー・キル運動)について、おおきく取り上げています。アメリカでの殺処分ゼロ運動の原点である1979年のサイドーによって引き起こされた議論からはじまり、殺処分と安楽死に考え方の変遷を丹念に追いかけています。
当時、サンフランシスコの動物管理業務を受託していたSPCA(サンフランシスコ動物虐待防止協会)は動物の殺処分を行っていたため、矢面に立たされることになってしまう(1995年に委託から撤退)。
かつてSPCAで働いており、2013年までASPCAの代表を努めていたエド・セイヤーズは、「殺処分ゼロだからといって、安楽死がまったく行われないとは、最初から誰も言っていない」と語っています。東京都の、譲渡に適さない犬猫の殺処分は殺処分に含めない方針と同じものです。
どうやっても譲渡が無理な個体の殺処分は福祉の実現には必要であることから、セイヤーズは生存率という概念を用いて殺処分ゼロに相当する生存率として68%という数字を提示しました。シェルターに来たうちの68%以上が引き取られれば、事実上の殺処分ゼロという理屈でした。
数字の妥当性はともかく、処分が必要なケースは、殺処分でなく「安楽死」や「永眠させる」と表現を変えたりしています。しかし表現を変えても納得しない人はしないし、病気の苦痛からの開放だけならともかく、人間の都合で殺処分となる攻撃的な犬も安楽殺に分類するなら、すべての殺処分が安楽死と言えてしまいます(苦痛を与える殺し方はされないから)。
この問題は今も引きずっており、殺処分をすると非難があることから処分できず、それ以上受け入れできなくなるといった問題が生じています。
なお、欧米の大きな福祉・権利団体は安楽殺をしており、当然ながら非難されています。
攻撃性ゆえに引き取られず、人間と一緒に安全で快適な生活を送れない犬が生きながらえることをどう考えたらよいのか。そんな問いも投げかけられています。
犬とはなんぞや?を考えているため、内容は幅広いです。その結果として、順番に読みすすめると散漫な印象が拭えません。おそらく『犬が私たちをパートナーに選んだわけ』という邦題を念頭に置くと、しまりが悪く感じられます。
しかし「犬」という動物を改めてふり返り、「現代社会における人間と犬の関係」を省みる。そうすることで、殺処分ゼロや、犬に与えられるべき配慮といった「現代的な課題」の展望が得られるものとなっています。