今後は批判的な記事が増えます 対話は諦め

今後は反発する人には読まれなくていいと開き直って、直接的な批判も普通に書くことにしました。

これまで引退馬関連の記事は、多かれ少なかれ考え方の違う人も意識して書いてきました。「考え方が違う人を無視」すれば記事を書くのは楽ですが、建設的ではないし、対話の糸口が消えてしまうのを避けたかった。

馬の福祉関連や処分関連の記事は意外と多くの人に読んでもらえて、競馬は「動物虐待だと思っていたけど認識が変わった」と言ってくれる人もいました。

そういった声もあったので同じスタンスで書きたいとは思っていたのですが、記事を仕上げるのにかなり時間がかかります。なにより書く前に疲れて気力がなくなってしまう。さまざまな見解を想定して考えるのは当然のことですが、異なる見解の人にも読んでもらえるように書こうとすると、とたんにハードルが高くなってしまうんですね。

書きたいことはいくらでもあるのに書けないと、それもストレスになってしまう。本末転倒ですよね。そういった理由から、今後は反発する人には読まれなくていいと開き直って、直接的な批判も普通に書くことにしました。

批判といっても、叩いたり誹謗中傷をするわけではありませんよ。事実に基づいて普通に批判するということです。

 

筆者の気持ちとしては、できる限り「分断」「分裂」の流れに竿をさすのは避けたい、ということが根底にあります。気に入らない人の話など耳を貸さない、同じ意見の人だけいればいいという態度では、声の大きい者、力のある者のための世界になってしまう。『ホモ・デウス』の未来が見えてくる。

2019年暮れに話題になったアメリカ映画『ジョーカー』、同じくアメリカのCSBストリーミングサイト制作のドラマ『ザ・グッドファイト』(3rdシーズン)で描かれている分断された社会の到来は嬉しくないのです。

「実際にはあそこまで分断されていないし、日本でははるかにまし」という見解もあります。しかし筆者は日本でも見えないところで分断が進行していると感じています。分かりやすいところでは、自己責任論の自己責任と言われた側。普段はそんなそぶりは見せませんが、本音を聞くと驚くこともあります。おそらく想像している以上に根深い分断が生じています。

社会全体の分断を防ぐことなど筆者には無理ですが、部分的にであれば避けることはできるかもしれない。そう考えて馬、動物という狭い範囲での対話の土台づくりになるであろう情報を書いてきましたが、結局、「こりゃ無理だわ」となったのです。

動物関連では、意に染まないことを口にする人を人格否定するのも珍しくないことは分かってはいましたが、やはりそれが自分に向けられるとうんざりするんですね。

きっかけはいくつかありますが、最大の理由は「猫の外飼い」記事への反発でした。2019年3月頃から6月の間に「猫の室内外は先進国では常識」という発言を見聞きしたので、動物福祉先進国と言われる3国を例に「いやいや、常識ではないよ」という記事を書いたのです。取り上げたのが3国なのは特に意味はありませんでした。調べるのが面倒であることと、EU+北欧で30国ちょっとのうちの1割あれば十分だろうと想定してのことでした。

その際に「常識」という言葉は使わず、「外飼いは珍しくない」にしていました。「常識」って場合によってはかなり乱暴な言葉です。そういうことも考慮して書いたのですが、猫の室内飼いが正義の人たちに非難されました。

間違っているならデータのありかを指摘してもらえればいいし、「3国では猫の外飼いは一般的だが、こことここは違うよ」と言ってもらえれば、「あ、そうなんだ。教えてくれてありがとう」で終わりますよね。「全体ではどうなってるんだろう?手分けして調べてみようか?」となるかもしれない。

そう指摘する代りに「肝心のここのデータはなんでないんだ」みたいなことを言ってくる人もいるわけです。猫の飼い方にそれほど関心があるのなら、文句言う前に調べればいいのに、そういう労は厭う。

筆者から見ると、自分で調べることはしない、事実かどうかはどうでもいい、気に入らないことを言っている人は非難するという行動に見えます。事実関係を確認する前に非難する、事実はどうでもいいといった態度は動物関連ではよくあるんですよね。

好き嫌いで判断しているようなのです。

しかし筆者はカマンベールチーズを好きだから、あんたも好きになれ!なんて言っているわけではないんですよね。知り合いなら苦手好き嫌いを聞くことはありますが、読んでる人がカマンベールチーズを嫌いであろうが好きであろうがどうでもいいんですよね。

こちらがカマンベールチーズは美味しいですよ!と言ってるだけなのに、まずいからやめろ!と言われても、知らんがなとしか思わないですよね。「自分はこういう理由で好きではない」という意見なら、そうなんだなーと思います。責めたり非難する必要など、どこにもないですよね。

 

こういった転倒は馬関連でも多々見受けられます。競走馬の屠殺を否定しない記事は、最初のうちは非難するメールが届くことがありました。書いてもいないことで責め立てられたりね。返事の余地があるメールには返信していましたが、最後は音沙汰なしになる。批判ならいいのですが、非難ではどうしようもない。福祉関連の記事は表現を変えて何度も書き直しているうちに嫌なメールは激減したので、書き方の問題もあったんだろうとは思います。

書き方を工夫すれば事実関係無視の「非難」は減るのですが、めちゃくちゃ面倒なんです。事実関係をきちんと把握した上で批判すれば、感情論から抜け出せます。人間は感情と思い込みと習慣の動物ですから、感情論が混じってしまうのは仕方がない。しかし個人的な感情と大義を混同する人に、分けて考えるよう促すのはしんどい。

新型コロナ関連では、馬関連の人による職業差別も散見されました。差別をしたら自分も差別されることを理解できない人と、何を対話できるというのか。疫病は埋もれていた差別を顕にすると言います。そういうのを度々目にしたことで諦めました。

分断は仕方ないと割りきって、これからは書きたいことを書くよ!というお知らせでした。


2000年以降の日本は、政治による分断と統治がうまくいきすぎてしまったのだろうと思います。分断の行く末は、↓を読むと分かりやすくなります。

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