蹄鉄の歴史

蹄鉄

現代の馬にとって蹄鉄は切っても切り離せないものになっています。馬術競技も競馬も乗馬も蹄鉄がなければ成立しません。

蹄鉄は蹄を保護するだけでなく、削蹄技術と組み合わせることで馬の足にかかる負担を調整することもできます。削蹄により蹄のバランスを調整することで、脚元の不安を改善する理学的な役割も果たしています。

蹄鉄は馬のパフォーマンスや健康に直結するにも関わらず、現代的な装蹄が普及したのは16世紀頃と歴史は意外と浅いと考えられています。

16世紀は近代競馬が始まった時期と重なることから、競馬と蹄鉄には相互に密接な関わりがあると考えられます。

蹄鉄を打っている装蹄師馬の蹄鉄はどうやって履かせるの?『装蹄』の手順を知る装蹄師馬に関わる仕事がしたいなら『装蹄師』が狙い目

古代の蹄鉄

馬が家畜化されたのは紀元前4000年前頃、ハミの発明は紀元前3500年頃。馬が家畜化されて間もない頃からあった鞍もふくめ、馬の騎乗に用いる道具には長い歴史があります。

それに対して蹄鉄がいつから使われはじめ、一般的に用いられるようになったのか、はっきりとは分かっていません。

金属が貴重品だった時代には使い古した蹄鉄は再利用されたために現物が残っていないのか。一部の地域で使われた痕跡や記録があっても、局地的なものかそうでないのかを判断するための物証に乏しいことが理由です。

家畜化して農耕や運搬に使われるようになった馬は野生の状態よりも負荷の多い環境に置かれました。

自分の体重を支えていればよかった野生とは異なり、人間に飼われる馬は物を載せたり引いたりの仕事を担います。

家畜として使役されるようになった馬は、自然界で暮らした頃よりも蹄の削れる量が増え、伸びる早さが追いつかなくなります。さらに餌や馬房での飼育といった環境要因からも、蹄は弱くなる傾向にある。必然的に蹄の保護が必要となりました。

どんな形であれ蹄の保護は必要となり、古代アジアでは鉄ではなく、革や織物で作った「靴」をヒヅメに履せていました。

時代は下って古代ローマでは足の裏に当てる金属を革紐で縛ってり、サンダルのように履かせるようになります。

ローマの蹄鉄、ヒッポサンダル

ローマの蹄鉄、ヒッポサンダル

 

中世以降

500年ごろには金属を釘で蹄に直接打ち付けた形跡があり、900年頃には、はっきりとした記録が現れます。

さらに時代は下って11世紀になると、青銅製の釘打ち蹄鉄が普及します。

鉄製の蹄鉄が用いられるようになるのは、12世紀に入ってからのこと。イギリスではじまりました。

イギリスでは13世紀から14世紀には大型のドラフトホース(輓き馬・荷馬に用いられる馬の総称)が農耕や旅、戦争に広く利用されるようになります。

それに伴って蹄鉄はより大きくなり、既製品が生まれました。

14世紀のイギリスで書かれた『カンタベリー物語』の挿絵には、足の裏にスパイクと思しきギザギザが描かれているものや、蹄の表面から釘が出ているように見えるものがあります。

チョーサーカンタベリー物語  チョーサーカンタベリー物語 チョーサーカンタベリー物語

 

近代的な装蹄の始まり

16世紀に入るとヒヅメと蹄鉄の密着性を上げるために、熱した蹄鉄をヒヅメに当てる熱装装蹄が行われるようになります。

装蹄師を意味する “farrier” という語がはじめて文献に現れたのは1560年代。その頃から装蹄が専門化したと考えられます。

1751年にイギリスで「蹄なくして馬なし」の語源となった「No Foot、No Horse」と題された本が獣師によって書かれました。この本がきっかけとなり、馬にとってのヒヅメの重要性と蹄鉄の必要性が認識されるようになります。

1800年代に入ると産業革命によって蹄鉄の大量生産が行われるようになります。火器の発達もあり、近代的な騎兵の運用や大砲などの機動的な運用が可能となります。

戦争は補給が命。いくら人がいても、武器弾薬食料がなければ何もできません。

戦闘に先立つ物資の輸送が機能しなければ、戦闘自体が行えなくなる。馬がいなければ補給も滞ってしまうのです。

騎兵隊の活躍した1850年代のアメリカ南北戦争で北軍が優位に立てたのは、北軍が蹄鉄工場を擁していたことも一因とする見かたもあります。

しかし火器の性能が上がるにしたがって、正面戦力としての騎馬の運用は減っていきます。

しかし、鉄道と自動車が普及するまでは、輸送のために利用され続けられました。

 

日本では江戸時代にも馬はときおり輸入されていましたが、蹄鉄は広まることはなく、馬わらじが用いられていました。

1862年に外国人居留地のための競馬を行う横浜レースクラブが設立され、1867年に根岸競馬場で競馬がはじまりました。この頃から現代的な装蹄が始まります。

その後、技術者を招いた軍での本格的な蹄鉄技術導入で、蹄鉄の使用も広まっていったとされています。

日本で馬の大型化が進められたのも、輸送のために力の強い馬が必要だったため。日清戦争でも日露戦争でも大型馬の確保に苦労していました。

蹄鉄は軍事にも必要だったのです。

近代的な馬の競走が行われるようになったのは熱装装蹄が一般化したのと同じ16世紀。

そして日本の菊花賞のモデルとなるセントレジャーステークスが創設されたのが1776年で、「蹄なくして馬なし」から程ない頃。

蹄鉄と競馬は、切っても切れない関係にあるのかもしれません。

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