相馬野馬追

相馬野馬追(そうまのまおい)は、毎年7月下旬に福島県南相馬市を中心とした地域で行われる騎馬武者を主体とした祭祀で、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

一般には騎馬武者のいでたちで昔ながらの口上を述べる歴史再現的な側面と、400頭以上の馬が集まる日本で最大の馬のお祭りとして知られています。

行事としては馬を追い込んで捕まえる「野馬懸」、甲冑姿で競走する「甲冑競馬」、空から降ってくる神旗を取り合う「神旗争奪戦」、街を騎馬武者が行進する「お行列」が有名。

 

 

本祭りに行われる甲冑競馬と神旗争奪戦は明治に入ってからの行事であり、源流は馬を捉えて奉納することにあるので、伝統の観点からは野馬懸が主といえます。

「野馬懸」は野馬を小高神社の竹矢来(たけやらい:囲い)に追い込んで素手で捕まえ、神馬(しんめ)として奉納する行事。これが相馬野馬追の始まりとされています。

現代での多くの寺社ては馬は必要とされず厩舎もないため、馬が奉納されることは多くはありません。それに加え、一般の人に本物の馬は賄うことができないため絵馬が奉納されるようになっています。しかし野馬懸では古来より行われてきた神馬の奉納が再現されています。


お祭りの時期は時代によって変遷しており、現在では毎年7月の最終土曜日から月曜日までの3日間行われています。

土曜日宵祭り出陣式・総大将御迎・宵乗り競馬
日曜日本祭り御行列・甲冑競馬・神旗争奪戦
月曜日野馬懸野馬懸

 

神社に奉納する神事であることや、馬という動物を扱うため、観光客には見えない部分が多いことも特徴と言えます。400頭以上の馬を周辺地域だけで賄うのは難しいことから、他の地域から借り出されている馬も多いそうです。

 

2011年の震災と福島原発爆発事故で放射能汚染の被害を受けた地域であるため、2011年は「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」として行われました。

2012年、2013年の観光客は若干少な目だったものの、2014年以降は以前の水準に戻っています。

2017年に一部の避難指示が解除された浪江町も、2018年には騎馬武者行列が再開される予定です。

 

2018年の日程と場所

この項目は相馬野馬追執行委員会 公式サイトと相馬市のサイトより転載しています。

相馬野馬追執行委員会 公式サイト 相馬市役所

7月28日(土)宵祭り出陣式・総大将御迎・宵乗り競馬
7月29日(日)本祭り御行列・甲冑競馬・神旗争奪戦
7月30日(月)野馬懸野馬懸

7月27日(金)

○安全祈願祭(相馬市・相馬中村神社)

○総大将出陣祝いの宴(相馬市・相馬中村神社境内)

7月28日(土) 宵祭り

○御発輦祭(相馬市・相馬中村神社境内)

御鳳輦の道中安全を祈願する神事

○出陣式(相馬市・相馬中村神社境内)

境内で出陣の盃をあげた後、長友グラウンドに勢揃いした宇多郷騎馬は総大将の閲兵を受ける

○宇多郷行列(相馬市内)

御鳳輦と総大将を擁して市街地を行列

○総大将お迎え(南相馬市鹿島区)

○宵乗競馬(南相馬市原町区・雲雀ヶ原祭場)

7月29日(日) 本祭り

○お行列(南相馬市原町区内)

○甲冑競馬(南相馬市原町区・雲雀ヶ原祭場)

○神旗争奪戦(南相馬市原町区・雲雀ヶ原祭場)

○お上がり行列(相馬市・馬場野地内から相馬中村神社へ)

雲雀ヶ原祭場から帰路についた騎馬武者らは、市街地を凱旋後、相馬中村神社に御鳳輦を納める。このときの出で立ちは、陣笠、陣羽織の軽装。

7月30日(月) 野馬懸

○野馬懸(南相馬市小高区・小高神社)

騎馬武者数十騎が裸馬を小高神社境内に追い込み、身を浄めた白衣姿の御小人達が矢来の中の裸馬を追い素手で荒駒を捕え、神前に献納します。

 

相馬野馬追の由来

相馬野馬追の源流は、相馬氏の祖である平将門が行った原野に放たれた野馬を捕らえる軍事訓練と、捕らえた馬を神前に奉納したことにあるとされています。

相馬家6代当主重胤の時代の1323年に陸奥に移り、勢力を拡大し、後の陸奥相馬氏の礎を築きました。相馬氏が陸奥入りして野馬追の風習を持ち込み、現在の南相馬市を中心とする地域で野馬追の風習が始まりました。

軍事訓練としての側面があり、陸奥入り後から江戸時代にかけて野馬追は続けられていましたが、明治に入り野馬がいなくなると、本来の野馬追が成立しなくなりました。

野馬がいなくなった明治時代以降は、野馬に見立てた放たれた馬が用いられています。

相馬三妙見のひとつである太田神社(南相馬市原町区)が中心となって野馬追祭の再興が図られ、明治11年(1878)から、正式な内務省の許可を得た中村・太田・小高の三社合同の野馬追が始まりました。これが今日の相馬野馬追の原型となりました。昭和53年5月には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

https://www.city.soma.fukushima.jp/rekisi/nomaoi.html

 

神旗争奪戦や甲冑競馬が注目されがちですが、野馬追の源流を引き継いでいるのは「野馬懸」ということになります。

 

観光客数

※2011年の相馬野馬追は東日本大震災の影響実施が危ぶまれましたが、「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」として行われました

 

観光者数
2007180000
2008166000
2009152000
2010189900
20119400
2012136700
2013148500
2014195600
2015207200
2016192600
2017164000

3日間延べ人数

2016年まで「28年観光客入込状況調査」
2017年は南相馬市ウェブサイトより作成


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です