「植物」は痛みを感じるのか 防御反応と痛みの関係とは?

 

「馬」とは関係がない話ですが、植物の危機に対する防御反応の可視化に成功したという研究が発表されました。

植物は虫に食われて身に危険が迫ると、植物内部では虫が嫌う成分を生成したり、自分を蝕んでいる虫の天敵を呼び寄せる物質を発っするなどの方法で対抗します。

防御体制に入るためには、危機を体全体に伝達する必要があります。その危機が植物全体に伝わる過程を録画したものがこちら。

植物内部の「警報」伝達、可視化に成功 – ナショナルジオグラフィックチャンネル

明るい部分はカルシウムイオン濃度が高くなったところ。虫に食われた部分から瞬時に明るくなるのがみて取れます。植物内部ではこのカルシウム濃度の上昇によって危機が伝えられます。

カルシウムは栄養の通り道である師部を通して伝わるため、明るくなったところまで危機が共有されたことになります。全体に情報が伝わるのに要する時間はほんの数分。外からは想像がつかないほど素早い反応が生じています。

伝達物質の発生する仕組みは次の流れ。

  1. 虫に食われるとその部分からグルタミン酸を放出
  2. それに伴って情報伝達を担うカルシウムイオン濃度が上昇
  3. 全体に広がる
  4. 全体で情報が共有される

上の動画では虫に食われたところでグルタミン酸が生じ、カルシウム濃度が上昇する過程を観察していることになります。

 

痛みを感じる?

動画のインパクトというべきか。上の動画を目にすると植物も痛みを感じるか、食われたら苦しいのかという疑問があらためて生じます。

ひとつ気をつけなければいけないのは、仮に植物が痛みや苦しみを感じていたとしても、植物の「感覚」はヒトとは異なること。人間の感覚と区別するために「痛み」「苦しみ」いずれにも「」を付ける必要があります。

先に見たように植物は虫に食われれば防御反応を示します。その他にもさまざまな「反応」を示すものがあり、火事で危機を「感じると」異変を周囲に知らせる種も存在します。

同種の植物と「コミュニケーション」をとって共生している種もあります。齧られたり傷んだ場所を「覚えている」と思われるケースや、光の方向ばかりでなく、匂いの漂ってくる方向を検知する種もあります。

仲間と「コミュニケーション」を取り、短期的にせよ記憶があって外敵に対抗する。外的刺激への機械的な反応とするには複雑な処理が観察されることから、植物にも意識があっても不思議ではない気がします。

この種の問題の厄介なところは、現象面(外面に現れる変化)は客観的に観測できるのに対し、意識は「ある」のか、あるいは痛みを「感じる」かといった形而上の話は一筋縄にはいかないこと。

「痛み」を感じるためには痛覚が必要で、さらにそれが好ましくないとするには「不快」であるという「意識」が必要になります。意識がなければ痛みを「感じる」ことはありません。

ここで問題になるのが「意識」をどう定義するか。意識が生まれるためには、感覚の統合的な処理をする仕組みが必要とする考えもあるため問題は複雑です。

「感覚の統合」が必要となると、コンピュータネットワークがニューロンのアナロジーとなって意識・生命体が生まれるというサイバーパンクの世界は望み薄ということになります。

 

ただし、痛みについては痛覚と受容器の有無によって判断することができます。

道徳的動物日記で翻訳されている植物学者のダニエル・チャモヴィッツのQアンドAが分かりやすいので引用すると。

Q:なるほど。すると、神経系が無いとしても、植物は損傷を感じている‥‥実質的には、痛みを感じているのではないですか?

A:損傷(Damage)は必ず痛み(Pain)となる、という考えは間違っています。私たちが痛みを感じるのは、侵害受容器と呼ばれる特定の受容器が私たちに備わっているからです。侵害受容器は、接触ではなく、痛みに反応するようにプログラムされています。遺伝的な機能障害のために侵害受容器を持っておらず、圧力は感じても痛みを感じることは絶対にない、という人も存在します。

 

Q:つまり、植物は苦しんでいないかもしれないが、もがいて抵抗している。

A:全ての有機体は、恒常性を維持しようとしますし、そのためには何でもします。しかし、そこに苦しみ(Suffering)が存在するか?苦しみとは、私たちが物事に与える定義です。ニレの木が山の頂上と谷間に生えているとしましょう。風の強い山の頂上では、ニレの木は短くなり、枝と葉の数は少なくなり、幹は太くなります。普通のニレの木のような高さと枝の数のままであったなら、風に吹き倒されてしまうからです。つまり、縦方向への成長を抑制して、幹の周囲の寸法を増加させることで、植物は風に対して能動的に反応する訳です。損傷に対する反応のようなものではない、能動的な反応です。植物は、生き延びるために自らの反応を変化させているのです。

 

Q:つまり、私がお話をちゃんと理解しているとすると、植物は比喩的にではなく実際に感じることができる。しかし、植物は痛みを感じない。これで合っていますか?

A:植物は侵害受容器を持っていません。植物は圧受容器を持っていて、自分が接触された時や動かされた時にはそのことを知ることができます。植物は機械受容器という神経細胞を持っているのです。

 

Q:はっきりさせておきましょう。植物は自分が損傷されている時はそのことを知っているんですよね?

A:あなたは、明確に植物を殺すことができます。しかし、植物はそのことを気にしません。(You can definitely kill a plant, but it doesn’t care.)

「植物は痛みを感じるか? 生物学者に訊いてみた。」 – 道徳的動物日記

 

防御機構があり、生き延びるためのメカニズムが備わっている。しかし、痛みを感じる器官がないから「痛い」と感じることがない。そして殺されることを恐れてもいないだろうということです。

あなたの使っているPCのマウスやスマホが、いきなり「そこタップされると痛いんだけど」などと言い出しても、「いや、痛覚ないでしょ?」と突っ込むことでしょう。PCやスマホが唐突に自発的に話し出せば驚きはするだろうけれど、痛がってるとは思わない。

この点についてチャモヴィッツの著作で、もう少し踏み込んだ説明がなされています。

植物にとっての「痛み」は細胞が傷ついたり死んだりすることにつながる物質的な危機を感知することなので、「実際の、または潜在的な組織損傷」と定義してもいいだろう。虫に葉を食われたとき、森林火災で焼けたとき、植物はそれを知っているからだ。しかし、植物が「苦しむ」ことはない。現在の科学が理解している範囲において、植物に「不快な感覚および感情を体験する」能力はない。じつのところヒトであっても、痛みと苦しみは脳の別の領域で解釈される別の現象だと考えられている。脳画像研究から、痛みの中枢は脳の奥深いところに位置し、脳幹から放射状に広がることが確認されている。いっぽう、苦しみを感じる場所は前頭前皮質だと科学者たちは考えている。痛みによる苦しみを感じるには高度に複雑な神経構造と前頭皮質への接続が必要なのだとすれば、それは高等な脊椎動物だけに存在すると考えていい。つまり、植物は苦しまない。植物には脳がないのだから。

『植物はそこまで知っている』ダニエル・チャモヴィッツ

植物には自分がどのような状態にあるかは「わかる」。しかし痛みを感じたり、苦しむための仕組みがないから苦しみようがない。

対応する器官がなければ分からないのは当然といえば当然。女性には男性がタマタマを強打した痛みは分からないのですから(違いますか?まあ細かいことは気にしないようにしましょう)。

植物が痛みを感じないとすると、ヴィーガンに対して「あなたたちも命ある植物を食べてんじゃないか!」という批判は筋が悪いのです。

もっともこれも絶対とは言い切れないところはあります。

かつては痛みを感じないと考えられていた魚介類も、現在では痛みを感じている可能性が高い、少なくも不快感はあるだろうと考えられるようになっています。

植物には人間とは異なるかたちの意識があるとされる時代が到来しないとは限りません。

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