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と畜場に運ばれた動物は殺されることが分かるのか?怖がるのか?

「食肉処理場にいる家畜は、自分が殺されることが分かる」「死ぬことが分かるから悲しみ、暴れる」

ネットではこんな情報をよく見かけます。

この手の言説に異論を唱えることはなくても、「動物は本当に『自分が殺されること』が分かるのか?」という疑問をいだいている人は多くいます。

殺されることが分からなければ、「怖い」ということもない。

動物に聞けないために本当のところは分かりませんが、少なくとも「畜産動物」として扱われている牛や豚に関しては、「殺されること」は分からないだろうという見解と傍証があります。

家畜は屠殺を怖がるのか

「動物は殺されることが分かっていても、運命として受け入れているんだ!」という人もいますが、動物に聞いてみないと分からないことです。

一般に、屠殺するときに暴れたり怖がるなどの「ストレス」がかかると肉質が落ちてしまいます。暴れて体をどこかに打ちつけたら、その部位が傷むこともある。運が悪ければ、従業員が負傷することもある。

経済的にも福祉への配慮からも、屠畜は動物にストレスをかけないように行われることが合理的です。

人道的には苦しまずに殺す必要があるけれど、「これからどうなるか分かる?怖い?」なんてことは動物に聞けない。ならば客観的に考える必要があるわけです。

で、屠殺そのものを怖がっているの?

で、客観的にはどうかというと、今のところ「動物は自分が殺されることを分かってないんじゃない?」という結果になっています。

畜産業界にまつわる「嘘(正しくは神話)」に対する反論サイトでは、動物福祉に配慮した”と畜場”の設計を行っている動物行動学者「テンプル・グランディン」博士による解説が掲載されています。

Myth: Livestock Are Aware And Afraid They Are Going To Be Slaughtered

グランディン博士は、牧場と”と畜場”での牛の行動を観察。牧場では放牧地から獣医用保定機に向かう牛と、と畜場で誘導路に向かう牛を比較。その結果、行動には違いがみられなかった。

もし牛が屠殺されることを知っていて怖がっているのであれば、後ずさったり通路に入ることを拒否したり、立ち止まったりするだろう。豚でも同じことだと話しています。

chute(通路だけでなく保定機〔締め付けて落ち着かせるやつ〕もchuteとなっている)の意味がちょっと不安なので、グランディンの著作からも引用しておきます。

「牛はこれから死ぬことが分かっているのですか」とよく尋ねられる。まだ大学院生だったころ、この問の答えを見つけなければならなかった。

そこで、ある飼養場で医療用の誘導路を通る牛を観察し、同じ日に、スウィフト精肉工場で処理場に続く誘導通路を歩く牛を観察した。驚いたことに、どちらの施設でも、牛のふるまいは同じだった。これから死ぬことがわかっていたら、スウィフト精肉工場の牛は、後ろ足で立ち上がろうとしたり、蹴ったりして、暴れていただろう。

『動物が幸せを感じるとき』

なにはともあれ、グランディン博士は「(と畜場に運ばれた)動物は、これから屠殺されることを分かってない」という結論に達したとしています。

と殺されることが分かっていないのであれば「怖がる」こともない。恐怖を感じるているようであれば、と殺そのものではなく、見慣れないものや環境といった別の要素が原因ということでです。

傍証として、屠畜される”豚”を見ている別の”豚”のストレスを測った研究では、屠殺を怖がっていないであろうとする結果も示されています。殺される仲間の豚を目にしても、拍数、コルチゾール、またはβ-エンドルフィンのレベルが変わらないか、やや上がった程度だったため、「殺されている」と感じていないのかもしれません。

注)「家畜」としてではなく、「ペット」に近い状態で扱われた家畜動物は、空気の違いを察知して怖がるケースもありえます。

家畜がと畜場で暴れたり、鳴く理由

と畜場で立ち止まったり暴れたり鳴いたりする動物は死を恐れているのではなく、見慣れないものを怖がっていると考えられています。たとえば壁や通路に置かれた黄色いもの、ぶら下がっているチェーン、通路の柵にかけられたパーカー、床の光沢、吹き抜ける風。そして明暗の極端な差なども怖いものに含まれます。グランディンの著作では「地面にいる人間」を怖がった牛の話も出てきます。この牛は、馬に乗った人しか見たことがなかったため、地面に立った人間を知らないものと認識したようです。

動物、特に「闘争ー逃走」反応で逃走に向かう草食動物にとっては、「見知らぬもの」や「得体のしれないもの」が恐怖になります。裏を返せば、怖いものを取り除くことが動物のストレスを減らすことになる。そしてストレスを減らせば苦痛が軽減されるため、結果的に人道的な配慮にもつながります。

問題は概念・言語で考える普通の人には、動物が恐れるものが分からない、ということです。見たままの情報を把握できない人間にとって、動物の問題行動の原因が施設にあるのか、人間による扱いが悪いのかの区別もつけられないということが生じてしまいます。

グランディン博士は自身が高機能自閉症で、言語・概念ではなく図像・写真として世界を見ています。普通の人の目には留まらないような微細な環境の変化、動物の目にははっきりと映る細かな違いを見出すことができるとしています。

動物や視覚優位の自閉症の人に映る世界について説明されると「そうかー」と納得はできるのですが、ふつうの認識をしている我々に真偽を確認する術はありません。信じるしかないという状態です。

疑い始めればきりがないところですが、”と畜場”だけでなくペットや馬に発生する多くの問題を解決したり、原因を究明してきたグランディン博士の実績を鑑みれば、動物の問題行動の裏には動物と人間の認識の差が隠れているのでしょう。

過度な動物の擬人化は現実を隠す

人間と動物は異なる世界を見ています。見える色の数も違えば、聞こえる音、嗅げる匂いの種類も異なります。そもそも世界の認識の仕方からして共通点がない。

動物にとって快適で安心できる世界は、普通の人が考える安全な環境とは異なることもあります。

動物を人間に例えると、そういった違いが見えなくなります。日本で動物福祉が進まないのも、特定の動物への過度な擬人化によってペット以外の家畜動物への配慮が薄れてしまうからではありませんか?