競馬がなくなってサラブレッドが絶滅するのは残酷なのか?動物の純血と福祉

「競馬をなくすとサラブレッドが絶滅する」「残酷だ!」という意見を目にします。スピードを追い求めるサラブレッドは、競馬がなくなれば生産数が激減するのは確かです。一頭もいなくなるかは別として、私たちが日ごろの生活の中で目にすることはなくなることでしょう。

しかしそれは悪いことでしょうか?残酷なことなのでしょうか?

家畜の品種は自然環境における生物多様性には影響しないので、論点を次の二点に絞って考えてみます。

  • 「血統」という人間の側の論理
  • 個体としての動物の立場

人間の側の論理・血統

昔からの血統を残したい。その地域特有の形質や性質を維持すべきである。

動物の形質もその地の文化と分かちがたく結びついることから、積極的に血統の保存活動がなされています。馬で言えば、日本在来馬(和種)は八種にまで減っているため、危機感を抱いている人も多い。

しかしその形質が形作られてきた背景、時代による必要性がなくなってしまった現代においては、特定の品種がいなくなっても”困り”はしません。

実例としては、アラブ系種が分かりやすい。競馬と言えばサラブレッドを思い浮かべることが多いですが、2000年代までは日本でもアラブ系の馬の競馬が開催されていました。

時代を経るごとに生産頭数は減っていましたが、戦後20年ほどはサラブレッドよりも多く生産されていました。

サラブレッド国内生産頭数日本国内サラブレッド(軽種)生産頭数推移 ~2018

しかしアラブ系競走が国内でなくなって、アングロアラブ馬の系統は日本にはほぼいない状態になっています。アラブが減って懐かしむ人や残そうとする人はいますが、困りはしない。

アラブ種は競走馬だからだろうと思うかもしれませんが、戦争のための品種改良や、海外からの移入といった歴史的な事実に裏打ちされた伝統的価値があります。それがほぼなくなっても何ら問題はない。

▲はJRAが中央競馬でアラブ競走を廃止した頃のドキュメンタリー。大月隆寛のドアップに注意

そして交配を重ねた他の”品種”にその遺伝子は残っているでしょう。

現在の競馬に用いられているサラブレッドも変わりません。サラの血は他の競技馬にもたくさん入っています。

仮にサラブレッドがいなくなっても、サラブレッド同士をかけ合わせた品種が消えるだけであって、その名残がなくなるわけではない。人間が定義した「サラブレッド」という純血種がいなくなるだけです。

残念なことかもしれないし、伝統を残せなかったという悔いは生じるかもしれない。

しかしこれ、残酷なことですか?かわいそうなこと?

純血とか品種は人間が勝手に分類した決め事であって、品種が消えてもその遺伝子が消えるというわけではありません。

同じ名前でも別物になっていることもある

これまでの話は机上の空論だという人もいるでしょうから、分かりやすい犬の例を考えてみます。

犬の品種は時代ごとに好まれる外見に合わせて改良されてきたため、100年前とは見た目がまったく変わっているものが多くあります。

昔の形質(見た目)とは別物になっても、古いタイプが滅びてかわいそうだとも思わないでしょう。

逆に、品種改良が害になるケースも多々ある。犬の見た目にこだわりすぎたがために、犬の健康に問題が生じる「残酷な」品種がみられます。イギリスのケンネルクラブは、2008年にBBCのドキュメンタリー “Pedigree Dogs Exposed”で、犬の健康問題に配慮しない”犬種標準”の酷さを暴露され猛烈な批判に晒されました。10年ちょっと前のことです。

余談ですが、動物愛護先進国「イギリス」のイメージはどこかに勘違いがあると思いますよ。おそらく意図的に流布されている。

動物を護る活動をする団体は多くありますし、意識をしている人も多い。かわいがるのも事実です。

その一方で、2006年に新たに制定されたイギリスの動物愛護法も、それまでのヤバさに対応するための措置という側面があります。2020年のコロナ禍で、違法な犬の取引が横行するのではないかと懸念も示されていました。

 

動物を大切にするというイギリスの自己イメージは、帝国主義を拡張するための道具として用いられていました。動物を愛するほど高い文化の国だから、文化程度の低い国を支配する、といった論理です。

 

イギリスでは現在公共事業の民営化が見直されているように、トライアンドエラーで修正しているところがあります。

見た目にこだわった結果生じたひどい例としては、ジャーマンシェパードが挙げられます

オンラインジャーナル「Canine Genetics and Epidemiology(イヌの遺伝と疫学)」に研究を発表したダン・オニール博士らのチームは、イギリス全域の動物病院430カ所からデータを集めた。その結果、ジャーマンシェパードは、異常な傾斜のある背中や攻撃性、そして関節炎やガンといった病気に苦しむ割合が、他の犬種よりも多かった。生まれてきたジャーマンシェパードの2頭に1頭が歩けないので安楽死させられる。

背中の傾斜がある方がよしとされ、尻が下がった不自然な骨格になっています。このような形質の個体がいなくなったからといってかわいそうと思いますか?

品種の保存を考えるのであれば、そこにつきまとう人間のエゴ・残酷さにも目を向けないと、結果としてより酷いことになることも生じえます。

 

個体としての動物からの視点

アイリッシュ・コブ ジプシー・バナー ホース

純血や血統は人間の論理ですよね?

動物の個体にとって重要なのは、相手が繁殖できる対象か否か。血統なんて気にしていない。それぞれ好みはあるかもしれないけれど、仲間や繁殖相手が”自分と同じ品種”でなければ嫌、などということはありません。

人間が管理しなければ高く売れる純血種の血統は維持できないでしょ?動物にとっては純血なんてどうでもいいんです。

この点に異論はないと思いますが、問題はここから。

そこに存在している”その個体”の究極的な目的は、自身の延命と子をなすことです。一つ目の命を長らえることは、適切に飼養されるのであれば問題はない。もうひとつの子をなすこと、つまり遺伝子を残すことはどうでしょう?

むやみに繁殖させると飼いきれなくなったりするから、福祉の面からもブリーダー以外は去勢するのがいいことだとされている。”ブリーダーの下に残される繁殖に用いられるべき” 優れた個体をのぞけば「飼い主の責任として去勢すべし」となっている。

したがって選別に漏れた多数の個体は、自身の遺伝子を残すことができない。

これって選別に漏れた個体にとってどうでしょう。ある個体にとって、自分と同じ品種の純血種がいないことと、自身の子を残せないことのどちらが問題だと思いますか?

  1. 自身と同じ種がいない
  2. 自分の遺伝子が残せない

去勢されたら、同じ品種がいようがいまいが、自分の遺伝子を残すことができない。そこになんの意味があるのか。

もし去勢されず、繁殖できるとしたらどうか。相手が純血であろうがなかろうが子作りをして、子どもを残せる。

生まれた子どもが ”人間の定義する純血” でなかったとしても、自分の遺伝子は確実に受け継がれているのだからなんの問題もない。哀れむ要素も悲しむ必要もない。残酷とも思わないでしょう。

ある品種がいなくなることを残酷だと考えるのであれば、むしろ自分の遺伝子を残せない個体の悲しさを思いやったほうがいい。

「発情前に去勢しておけばそもそもそういった欲求が生まれないし知らないのだから、その個体は苦しまずにすむ」こととは別のお話です。

去勢の是非を問うているわけではなく、人間の定義する純血種が残ろうが消え去ろうが、動物にとってはどうでもいいんちゃう?大事なのは自分の子ども(遺伝子)を残せるかどうかと違うん?ということです。

文化や伝統、あるいは好みを理由に、特定の品種を残すことには価値があるのかもしれない。しかしそれは、どこまでいっても人間の都合ですよ。

このサイトで和種の保存にあまり触れないのも、濃くなった血を遺すことが、望ましいことなのか判断できないからです。思い入れのない筆者からしたら、遺伝子は残るんだから他の和種と混ぜた方がいいじゃん、とも考えてのことです。

競馬がなくなりサラブレッドがいなくなれば、私は悲むでしょう。寂しくも感じると思う。しかしかわいそうだとは思わない。残酷とも感じない。

ここまで読んできたあなたはどう思われますか?

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